GREEN COLLEGE SINGERS(シングアウト・SINGOUT)
更新日 : 平成18年10月5日(木)
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「とり喜」 …その歴史に幕を閉じる

いつからだったろうか。「とり喜」の入口に、「都合によりしばらく休むので回覧板は隣に」というメモが貼られたのは………。
それからどれだけの日々が過ぎ去っただろう。毎日通勤で前を通る筆者の目にふと飛び込んできた「閉店します」の張り紙。
うううう。どうしてだろう。なぜだろう。これからもっともっと「とり喜」のおいしい焼鳥で、素晴らしい仲間たちと旨い酒を酌み交わしたかった。
んでもって皆様からのお別れの手紙を募集します。この張り紙が出て多分1〜2か月は経っていると思います。皆様からいただいた「お別れの手紙」は、漏れなくこのページでご紹介させていただきます。
現在、13代・閏さん、16代・米内さん、大竹さんから惜別の手紙をいただいています。みなさまの心温まるメッセージをお願いいたします。
平成18年9月19日 by 16th YONAI
お世話になりました。初めて暖簾をくぐって以来30年近く、長きにわたりお世話になったお店の閉店の話を耳にし、寂しい思いでいっぱいです。
これでまた私の駒澤の文化が消えてしまいました。思い起こせば、1年の頃、ほろ酔い気分で お店に飛び込めば、4年生と3年生の先輩が小上がりでなにやら難しい表情で二人酒・・・。「こんにちわ!・・・失礼します!」と店を飛び出したものです。
また5年間の学生生活の最後の日、一人カウンターでホッピーを飲んでいたのですが、店も割れんばかりの喧嘩に巻き込まれ、そのまま世田谷警察へ・・・。
次の日は社会人初日の入社式で、お袋がスーツをもって世田谷署まで来てくれ、顔を腫らしパトカーで入社式まで送ってもらいました。
その後も折ある毎に訪れておりました。大勢での宴会もあり、二人酒、一人酒と、それぞれその時を一緒に過ごした顔が浮かび、口数の少ないおじさん、女将さんが面倒をみてくれました。
演歌がながれ、あの焼き鳥の風味と、ホッピーのほろ苦さが忘れられません。おじさん、女将さんの具合を心配しつつも、再開を心待ちにしておりましたが、このままでは寂しいですね。
(16代・米内)
平成18年9月23日 by 16th OTAKE
駒沢にいけば、まだ学生時代を思い出せると・・・・・
そのためには馴染みの店が必要ですね。“とり喜”もその一つでした。
いつ来るかわからないお客を待っていられるほど、お店の経営はあまくないということですね。
実名で申し上げて恐縮ですが、現役当時、泣く子も黙る統制の閏先輩とバンマスの房野先輩が2人で飲んでいらっしゃった姿が・・・・!
とり喜=先輩=“?”と、その後行く時は、おそるおそるお店に入るようになりました。
去年の暮れがあそこで飲んだが最後でした。
やめる前にお店から連絡など無いですよね。考えてみれば・・・・
(16代・大竹)
平成18年10月2日 by 13th URUU
確か、この店は私たちの代の頃にオープンした・・・? かどうか定かではないのですが。
同期の、田代君や金森君達とお銚子を何十本(・・・大げさか? 15本以上 は・・・)も並べたものです。もちろんホッピーも大好きですが。 意外に、ポテトサラダも美味いんです。ほっとしたものです。
なんとかチェーンの焼き鳥もそれなりに行っていましたが、やっぱりこの店に行くと落ち着きますね。特にフーテナニーの復活には不可欠な舞台だったのではないでしょうか。
「あーーーあったよ」、最初の一声が全てでした。何度も何度もそれまでの時間を埋めるように行ったのに、えっ!あの日見た休業の札がこうなるなんて・・・・。
大竹さん、あの日房野さんと話していたのは、下の代の幹事長の黒田や大竹が生意気ーーーー!!! なんて話ではありません。
多分、ベース&ドラム班の宴会の相談でしょう、でなければ上の12代のベースのO石さんが、房野君と同期のF成さんに言い寄ってきていて困る・・・なんて話題ですかね。
一緒に飲めばよかったね。この悲しみを埋めるには、川畑&米内さんの「焼き鳥おやじプロジェクト」しかないですね・・・。
13代 酒と焼き鳥をこよなく愛するベース担当です!
(13代・閏)
